2009年10月28日水曜日

【訃報】増崎義明氏、自宅火事で焼死

 27日未明、クロントイ区スクンビット通りソイ8のコンドミニアム「サイアム・ペントハウス」の909号室から出火したと、191番経由で通報がありました。クロントイ消防署から消防車が出動して消火に当たり、30分ほどで消し止められましたが、焼け跡からこの部屋に住む68歳の日本人男性が遺体で見つかりました。
 ここまでは何だ、普通の報道じゃねぇか、とお思いの方もおられるでしょう。newsclipは「実業家の日本人男性」、バンコク週報は「この部屋に住んでいた日本人の男性」と記述しましたが、その後、西日本新聞バンコク支局電で、死亡したのは増崎義明(ますざきよしあき)さん(68歳、福岡県出身)と判明増崎さんというと、タニヤ通り(バンラック区)で何軒もの日本人クラブを経営し、バンコクの日系社会内ではよく知られていた大物起業家だけに、ショックが広がっています。

(画像:2004年、三田会ゴルフコンペの優勝カップを受け取る増崎義明さん=左。バンコク三田会HPから拝借しました)


 現場となったサイアムペントハウスでは全室にガスコンロを標準装備し、自炊ができるようになっています。増崎さんは26日深夜、店の営業を終えて帰宅した後、自ら部屋のキッチンに立って夜食の調理をしていました。その途中、何らかの理由でコンロの火が燃料のプロパンガスに引火して爆発。キッチンの一部を焼き、増崎さんはシャワールームからバケツ一杯に入れた水を持ち出して消し止めようとしたところを煙に巻かれ、一酸化炭素中毒を起こしたのではないかとみられています。

 増崎さんは1941(昭和16)年福岡市生まれ、慶応大経済学部卒。福岡・中洲でクラブやライブハウスなどを経営した後、1988年に家族と共に来タイ。「Yours Bangkok Co.,Ltd.」(バンラック区)を立ち上げて社長に就任。タニヤ通りに日本人クラブ「ユアーズ」をオープンしてタイでの事業に乗り出します。当時はバブル絶頂期。日本と同じ接待ができる環境を求めていた駐在員社会にあっという間に浸透していきました。
 1991年には故郷・福岡で発行されている朝刊紙「西日本スポーツ」にコラムを連載したり、福岡県人会を結成して副会長に就くなど、バンコク日本人社会の大物となっていきました。最盛期には4軒のクラブを持つ一方で、それまでのタニヤにはないスタイルを次々と取り入れていき、駐在員の間では広く知られた存在でした。
 そして、ユアーズのオーナー社長として、事故直前まで自ら陣頭指揮を執る傍ら、月刊Gダイアリー(アールコスメディア)に記事広告的なコラム「ばんこく接待講座」の連載を続けていました。

 董事長ふくちゃんは直接お会いしたことこそありませんでしたが、在タイ20年、まだまだ志半ばというところでのあまりにも突然の事故死。深くお悔やみを申し上げたいと思います。

(11月9日追加)
 増崎さんの遺体は、11月2日(月)にクロントイ区内のお寺で荼毘に付され、遺骨で日本に帰国します。葬儀に参列したという日本レストラン「雑談室」の岡村豊さんは、

「5月31日の早慶戦ゴルフコンペで会ったのが最後。煩いと思うぐらいよく喋る、とにかく明るい人だった」

と故人を偲んでいました。