2010年12月10日金曜日

森被告に懲役13年!!浦上被告は最低無期か(1)

岐阜地方裁判所は9日、2008年の棚橋事件で共犯として起訴されていた森宏年被告(32歳、愛知県出身)に、懲役13年の実刑判決を下しました。起訴状の罪名は強盗致死罪で裁判員制度適用となっており、判事3人と裁判員6人による3日間の評議の結果、懲役15年の求刑から少し短い13年という数字になりました。

棚橋事件では、主犯とされる浦上剛志被告(32歳、大阪府出身)が事件後1年近く逃亡していたこともあり、先に逮捕されていた森被告と浦上被告の裁判は分離して行われてきました。

森被告と弁護側は、11月30日(火)の公判初日、罪状認否の中で殺害に至るまでの事実関係については認めた上で、強盗行為を行う意思とその時点での共謀事実の継続の有無を最大の争点として、どちらも成立しないという主張をしました。

「強盗をするつもりはなく殺人にも関わっていない」

と述べ、強盗の意思を全面否定。審理3日目の被告人質問では、

「状況的にみて浦上(被告)が殺したことは間違いない」

と述べ、浦上被告が単独で殺害を実行したとする見解を明らかにしていました。6日に行われた論告では、検察側も森被告の発言を事実上受け入れ、強盗致死罪(刑法240条:法定刑が死刑か無期懲役しかない)ではなく強盗致傷罪(同条:無期または6年以上の有期懲役)で論じるべきとしました。日本の大手報道機関は判決が「強盗致死罪の成立を認めた」ものだと書いていますが、刑法の条文を厳密に解釈すると報道各社の記述は誤りということになります。

その上で、共謀事実の継続については森被告が

「自分が現場を離れたのは浦上被告の指示。殺害へ突き進もうとする浦上被告を止めようとし、残ろうとしたが聞き入れず、やりきれない思いだった」

と述べて、殺害現場となったマンションを離れた時点で共謀行為は完結していると主張。これに対し検察側は、森被告が棚橋さんの手にかけた手錠を解かないまま現場を離れ、1人になった浦上被告はその状態のまま棚橋さんを風呂場へ連れて行って殺人に及んでいるとし、強盗行為と共謀事実は棚橋さんが死亡する瞬間まで続いていたとの論理を展開しました。

(画像:棚橋貴秀さんが事件直前まで住んでいたとされるアパート)

棚橋さんが死亡した後、現場に戻った森被告は、浦上被告から

「俺の伯父さんがタイ人の殺し屋を使って棚橋さんを殺害した」

と聞かされていたといいます。しかし、おじさんというのは浦上被告本人で、浦上被告が雇ったとされるタイ人の殺し屋も殺害の段階では関わっておらず、遺体を捨てに行く車を出しただけというのがTraveler's Supportasiaが以前から指摘してきた認識でした(前記事「安田氏殺害、邦人が関与」参照)。森被告は審理4日目の12月3日、

「強盗に協力したと判断されても仕方がない。(殺害を)制止できなかった責任を感じている」

とそれまでの主張をひっくり返すとも取れる発言。判決では、この部分について検察側の主張をほぼ全面的に認めました。

その上で、検察側が行った懲役15年の求刑に対し、既に日本で棚橋さんのATMカードを使って預金を引き出した窃盗の部分について懲役3年の実刑が確定していて今回の量刑と合算されることを考慮、強盗部分については懲役13年とする結論が導き出されました。2回の判決を通算すると、森被告には懲役16年(13年+3年)が科されるという計算になります。