2012年1月6日金曜日

「空港至近」だけでは他店に勝てない

 「スワンナプーム空港に一番近い大型店」などと日本語フリーペーパーで宣伝していた日本人オーナーのレストラン「ラッタナコシン」(ラックラバン区)が、昨年末限りで閉店となりました。総面積7ライ(11,000平方メートル)もの土地を活かし切れず、洪水による被害もあったのですが、最大の失敗は何よりも商圏と商売相手を誤ったという、いわばマーケティングミスです。スクンビットに複数の店舗を持っているオーナーさんをもってしても失敗したのは、なぜでしょうか?

 まず何よりも、商圏に日本人があまり在住していないことが痛い。バンコク首都圏最東部のラックラバン区は、BTSスクンビット線オンヌット駅近くから分かれるオンヌット通りを東へ約20km走ったところです。いくら空港に近いとはいえ、スクンビットやシーロムなど中心街へ通勤する日本人はまず住まないところです。日本料理屋に食べに行くだけのために、スクンビットからわざわざ車を飛ばしてラックラバンまで行く人もなかなか考えられません。周辺の工業団地に進出している企業の駐在員も、首都圏中心部やチョンブリ市、シラーチャ市などから車で通勤するケースが多いといいます。在住日本人がいない中で、どうやってお金を使ってくれる上客を誘致するかが問題になります。

(画像1:オンヌット~ラックラバンを走るバス[1013]。わざわざ乗って日本料理だなんてまず考えない)

 バンナートラート通りやその先の国道3号線、たとえばアマタナコンとシラーチャレンチャバンの間に似たような大型店があれば、工業団地からの通勤途上に否が応でも立ち寄る店となります。しかし、ラックラバンの空港入口では、車で市内中心部に向かうお客様はオンヌット通りではなくモーターウェイや空港東側からバンナートラートへ出るバイパスを使うケースが多く、オンヌット通りに出るのは空港西側のキンケオ通りへ行く人が主流。バス[550]も、旅行者に知名度は全くありません。
 空港から直接ゴルフ場へ向かう人を相手にしたとしても、場所が悪かった。ゴルフ場のクラブハウスで日本料理が出てしまえば、そういう人たちは立ち寄りません。第1回からアマタスプリングCCで開催されてきたロイヤルトロフィーも、ホアヒンを経て2012年はブルネイでの開催となり、タイを離れていきます。

 ではそのような環境の下で、どのようなマーケティングにすれば成功したのでしょうか? ラッタナコシンから約15km西のシーナカリン通り(バンカピ区)にある、タイ料理店「レッドアント」がその成功例です。この店のオーナーは台湾出身の新華僑1世(1990年以降に台湾を飛び出した人のこと)ですが、ラックラバン周辺で工場を経営しながら、周辺に進出している台湾系企業の接待の場として使えるレストランが少ないのに目をつけ、企業のオーナーが車を飛ばして集まりやすいシーナカリン通り沿いに立地させたのです。

(画像2:「レッドアント」の玄関先。サミティベートシーナカリン病院の筋向いだ)

 そして、台湾系商工組織「台湾商会連合総会」(ワッタナ区)や台湾系華僑のトップ団体「台湾会館」(サムットプラカン市)などで理事として活躍するオーナーさんは、それら組織のパーティ需要を次々と獲得。その模様を台湾系華字紙「世界日報」に写真入りで掲載させ、マスコミをうまく利用して他の企業のオーナークラスにアピールしていきました。2011年12月、オーナーさんは台湾商会連合総会の下部組織「ラックラバン台商連誼会(台湾商工会)」の会長に就任。披露パーティは当然、店で行われ、500人もの参加者を集めました。

(画像3:世界日報2011年12月27日付僑団面より)

 台湾系の世界日報に相当する、企業のオーナークラスが読む日本語媒体といえば、「バンコク週報」や「週刊タイ経済」、フリーペーパーなら「U-Machine」や「InfoBiz」です。ラッタナコシンのオーナーさんは、「タイ自由ランド」を宣伝媒体に選びました。しかし、日本人会経由で配布されるとはいえ日本人会に入会していない企業オーナーも多く、訴求力は小さくなります。バンコク日本人商工会議所は本国で上場している大企業の力が強く、中小起業家はなかなか入り込めません。うまく入り込むことができても、過去に総会やパーティが郊外で行われたことはなく、事務所自体がアソークからバンプーに移転した台湾会館のようにはいきません。まして、先述の通りタイを離れるイベントが出れば、「日本の有名人が使った店」などというキャッチコピーで売り込む機会はますます減っていきます。

 そこへ昨年秋の洪水被害。ミンブリ区から南へ向かった水の流れはラックラバン区にも迫り、小高く作っている幹線道路から一歩ソイに入れば数十センチの水が溜まっていました。オーナーさんは「こんな環境ではやっていられない」と売却を決断。自由ランド319号に「営業譲渡先求む」と書き、続けて320号で

「12月30日限りで閉店した。スクンビットのトンローにある同一オーナーの店『極楽』が代替となる」

と書き残すところまで追い込まれたのです。

(画像4:トンローのグランドタワーイン構内にある『極楽』。夜遅くまで営業しているのが売りだ)