2012年1月8日日曜日

カオサン最古の日系、MPツアーがドロン

 1993年からカオサン通りで営業を続け、最古の日系旅行代理店として親しまれていた「MPツアー」(プラナコン区)が、1月7日(土)限りで突然閉店してしまい、18年余りの歴史にピリオドを打ちました。航空券の予約を持っていた日本人客が乗れなくなるなど、被害も出始めており所轄のチャナソンクラン警察署は日本人スタッフの行方を追っています。

(画像1:店があったカオサン・バイヨンビル玄関前にて。MPツアーの電飾看板が閉店後も点る)

MPツアーは1993年に来タイした森浩一さん(56歳、長崎県出身)が、タイ人の奥様と2人で立ち上げた会社です。オープン3年目の1995年、日テレ「電波少年」で放送された猿岩石のヒッチハイク旅行をきっかけにバックパッカーブームが起こり、カオサンに宿泊する日本人旅行者が激増。MPツアーは日本語ですべての取引が完結できる地区唯一の旅行会社としてそれら旅行者の需要を取り込み、急成長を遂げます。1997年のバーツショック後は、タイで購入する日本往復航空券が注目されたこともあってさらに売り上げを伸ばしました。

しかし、2005年頃から森さんの体調が悪化。慢性腎不全で透析が必要という状況になり、それまでほとんど休みなく店に出ていた森さんは隠居状態となります。部下として活躍したリッキーこと井下力也さんや、後継者として採用された小野川広幸さんが森さんの奥様と共に会社を回していきますが、2006年頃から体質が目に見えて変わり始めます。従来主力だった本格航空会社の航空券販売を継続しながらも、主軸をカンボジアツアーに移しシェムリアプ行きツーリストバスでは事実上の元締めとなりました。その後、格安航空会社による航空座席直販が一般化する中でクレジットカードを持たない旅行者から手数料を取って予約の代行をするといった「ニッチ業務」に乗り出し、生き残りを図ろうとしました。

 ところが、エイチ・アイ・エス、JTBなど大手の現地法人拡張や、プログラムD(クロントイ区)などMPツアーよりも後に設立された新興勢力の急成長といったタイの日系旅行代理店業界を取り巻く環境の変化についていけなくなりました。加えて、MPツアーが座席を仕入れていた航空会社もインターネットによる直販へと急速にシフト。ユナイテッド航空(UA)はHP表示の値段よりも旅行会社の方が安ければ差額を返還し次回の割引券も出すとする「ローフェアギャランティー(最低価格保証)」制度を導入し、航空券はカオサンが一番安いという神話は崩れ去りました2007年8月、やはりカオサンで日本人に親しまれていた同業の「IBSトラベル」(プラナコン区)が廃業しますが、これもプラス要因にはなりませんでした。

2008年のスワンナプームショック以降、2009年はソンクランショック、2010年にはUDD軍による戦乱、2011年も洪水と、観光立国タイへの外国人誘致に水を差す事件、災害が続出しており日本人旅行者全体の流れが乱高下しているのに加え、来たとしても宿泊先はバンコク首都圏内各地に分散、カオサンにすら行かないという人が増え始めました(前記事「カオサンを離れたバックパッカーはどこへ」参照)。地元のカオサンでも、MPツアーの航空券販売価格は他店に比べて高いというイメージが確立。これでは、顧客の大多数を日本人に依存していたMPツアーは立ち行かなくなってしまいます。

2011年3月、HISツアーズがスワンナプーム~成田間定期チャーター便の運航を開始。洪水後の一時期、2006年の運休まで得意としていたビーマンバングラデシュ(BG)も真っ青の片道運賃を出す(前記事「大バンコク圏に渡航延期勧告」参照)のを、MPツアーは指をくわえて見ているしかありませんでした。その頃から、奥様は今回の夜逃げ同然の撤退を画策し始めていたということになります。
しかし森さんは2002年にバンコク週報のインタビューに応じ、

「旅行代理店は自分一代限り、子供には継がせない。55歳(2010年)で閉めるか、マジメな後継者が見つかれば譲るつもり」

と述べており、これが真意なら森さんにとってみればリタイアの時期が少し遅れただけということになるのです。とはいえ、閉めるなら閉めるで立つ鳥跡を濁さないのが当たり前であって、いくら奥様主導とはいえ夜逃げで終わらせたのは到底許されるものではありません。