2014年12月13日土曜日

イサーン北部の「漢の性地」終焉か?

国家警察本部と移民庁は、ベトナム戦争期以来50年近くに渡って維持されてきたウドンタニ市内の置屋に対して執拗な取り締まりを行っています。イサーン北部やラオス・ベトナムを旅してきた男性たちのオアシス、ラオス人女性にとっては貴重な出稼ぎの場が、終焉を迎える可能性が出てきました。

ベトナム戦争期には、現在のウドンタニ国際空港にアメリカ空軍が駐留し、北ベトナムやラオスに対する空襲(空爆)の出撃拠点となっていました。ウドンタニ市内の置屋は、それらアメリカ兵たちの性的な慰安の場として設けられたのが始まりです。サイゴン陥落と共に米軍は撤退していきましたが、共産化、鎖国の道をたどったラオスの女性たちにとって、タイで働くことはリスクを冒しても叶えたい夢となったのです。

ウドンタニ市内では、中心部のワッタナヌウォン通りから入った「サオファイデーン」と呼ばれる一角と、そこから比較的近いアドゥンヤデート通りの2カ所の置屋街が残り、第一友好橋(ノンカイ市)が開通した1990年代中頃以降は、国際特急バスを降りてバンコク行きの特急バスや列車へ乗り換える時に立ち寄る外国人にも利用されてきました。2000年代に入ると、『アジアン王(キング)』(マイウェイ出版、既に廃刊。前記事「アジキン今月で廃刊」参照)や『Gダイアリー』(アールコスメディア)など日本の雑誌でも度々紹介されました。

しかし、置屋で働く姫たちはほとんどがパスポートはおろか、2泊3日の在留が許される「ボーダーパス」などの出入国書類を一切持たずに、国境のメコン川を越えて不法に入国してくる状態でした。このため、平和秩序評議会(NCPO)は不法入国者の受け入れや就労の温床となっていた置屋を徹底的に取り締まらなければいけないと判断、強制捜査に乗り出したのではないかと関係者は分析しています。

また、今年3月以降のビザラン禁止政策では、当初槍玉に挙げられていた韓国国籍者以外に、パスポートを取ってビザなしでの往復を繰り返していたラオス国籍者も取り締まりの対象になっているとの噂があり、今回の摘発と関係があると見る向きもあります。

ウドンタニ市内などイサーン北部やラオスの性風俗関連の記事を扱ってきたタイ風俗情報掲示板(旧名ウドン風俗情報掲示板)によりますと、これまでも頻繁に取り締まりで臨時休業するケースがあると報告されていましたが、董事長ふくちゃんは今週ウドンタニを訪れた旅行者の男性に話を聞くことができました。それによると、12月に入ってからサオファイデーンへの取り締まりが非常に厳しくなっており、営業がほとんどできない状況だと言います。アドゥンヤデート通りでは、ある一つのソイにあった置屋がすべて廃業に追い込まれたとの情報もあります。

もしこのまま全滅となれば、イサーン北部最大の「漢(おとこ)の性地」が潰される格好。男性バックパッカーにとっての一つの時代が終わる日は、もうすぐそこまで来てしまっています。

(この項、メンカームさん/ウドンタニ市 からの投稿です)
実は5.22クーデター以前から、年内中の壊滅を目標に取り締まりが行われていた模様です。サオファイデーンから南に1km程のところにあるムアンウドンタニ警察署前には今年初め頃、「置屋壊滅」のスローガンが書かれた看板が掛けられ、今回ばかりは並々ならぬ強い態度で臨む姿勢を見せていました。