2007年6月6日水曜日

チュンポン港の風景

(文・写真:副管理者fortunesawada)
 港の朝は気持ちよい。港は夜明けとともに動き始める。港には、出発の準備をするタオ島行きのフェリーや、早暁に出かけた“烏賊釣り”の漁船が帰ってくる。港全体に、朝日の赤みがさしてきて、次第に、活気を帯びてくる
 人々の愛想もいい.船の漁師達が手を振っている.きっと,大漁だったのだろう。

 港の気風は開放的だ。ここでは、誰とでも友達に成れる。知らない人同士でも、外国人でも、朝には挨拶をする。ごく簡単なことだ。サバイ・ディー! 都会では無理かも知れないが、いい習慣だと思う。

 子供をあやす母親、フェリーの出を待つお客相手の、コーヒー屋のおばちゃん。朝の風景が眼を醒す。新しい一日を祝うかの様に,小鳥達が唄いだす。犬や猫達も、やおら活動を開始する。東の空が,赤みを帯び始め、日の出はもうすぐだ。そよ風が無音のBGMとなる。

新たな一日が始まろうとしている。新たな世界が,今から始まろうとしている。

 朝の海の香りは,例えようもなく,美味である。コーヒーも旨くなる。何かが、自分の中のDNAを刺激する。深呼吸するだけで、意識が目覚め、世界の見え方が変わってくる。あたかも、生まれて初めて,自然の大気を呼吸するかの様に新鮮な気分になれる。

 朝日と夕日と、どちらが好きと言われても困ってしまうが、それぞれに特徴も良さもあり、私は,両方とも好きである。昼の太陽や蒼い空も.夜の闇や月や無数の星も素晴らしい。一日中、全てが好きである。

 バスで一緒になった,旅行者達と取り留めの無いお喋りをしながら,夜明けのゴールデン・タイムを満喫する。話題が瞑想の事に変わってきた。最近は、多くの人が,少なくとも興味はあるそうだ。未知への興味であろう。実際、未知程魅力のあることは無い。最近,1970年代の頃の様に,瞑想を志す者が増えてきたそうだ。女性も多い。聞いてみると、生の真の姿を知りたいからだ、と言う。当然の欲求だ。其れには,マインドや科学、知識は、全く役に立たない。瞑想とは“思いのほか”の出来事なのだ(Shambhala Cafeの「思いのほか…、という宝物」参照)

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(管理者ふくちゃんから)
 副管理者fortunesawadaが、タオ島へ移動する途中のチュンポン港での思いをまとめた文章です。副管理者fortunesawadaが元気にタオ島での活動を始めた証として、Traveler's Supportasiaの読者の皆さんにも一部を紹介することにしました。