2010年8月21日土曜日

「JALWAYS」の文字が消える

 日本航空(JL)は、国際線の一部客室乗務員が所属する分離子会社「JALウェイズ」(JO)を、12月1日付で本体に吸収することになりました。会社更生手続きの過程で企業再生支援機構から子会社の効率化を求められたためで、日本航空(持株会社)と日本航空インターナショナル(事業会社)も合併、JALグループの国際線部分は2008年の日本アジア航空(EG)解散(前記事「日本アジア航空、33年の歴史に幕」参照)に続いて、35年ぶりに日本航空1社にまとめられることになります。


 JALウェイズは1999年、それまでJALグループにあった「ジャパンエアチャーター」の社名を変更。タイ人客室乗務員を採用するための拠点企業として、バンコクに訓練設備を設け、定期採用を始めました。日本国籍の航空会社でありながら、実質的には日本とタイの2カ国を拠点に活動するという前代未聞の試みでした。
 そして、JALウェイズはJALの日本とタイを結ぶ路線に従事する一方、ハワイ、グアムなど太平洋のマリンリゾートを結ぶ路線で活躍。「リゾッチャ」のサブブランドで親しまれました。
 2006年頃からは、日本の各都市とバンコク・スワンナプーム空港を結ぶJAL自社便をすべてJALウェイズと日航本体の共同運航とし、搭乗券や荷物タグにはJO便名だけが表示されるようになりました。日航本体の経営が傾きかけ、日本発の格安航空券が大量に出るようになった2009年以降は、バックパッカーの間でも「JO***」と書かれた荷物タグを付けたまま、カオサンに来る人が増えました。

 2010年2月、日航本体は企業再生支援機構から

「再建の透明性を確保するためにも一度法的整理に移行しないとダメだ」

と指示され、会社更生手続きに突入します。手続きの過程で、持株会社と運航事業会社、資金管理会社の再統合が打ち出され、さらに数社に分かれていた運航事業会社の整理も求められました。そこで、国際線ではJALウェイズ主導(JO便名)の便も機材と運航乗務員は日航本体に所属していたことから一本化できると判断、日航本体(JL便名)で全面的に責任を持つ形の運航に戻すことになりました。