2011年7月4日月曜日

タイ初の女性首相誕生へ!

 昨日7月3日に投票が行われたタイ下院議会(定数500人)総選挙で、タクシン・チナワット元首相支持派「プアタイ党」(別名:タイ貢献党)が単独過半数にあたる265議席を獲得しました。アピシット・ウェチャチワ首相は自ら率いる民主党の敗北を認め、退陣表明しました。


 当初は、プアタイ党が比較第一党の地位を取るものの過半数に達せず、プアタイ党抜きでの連立構造が維持されてアピシット首相は続投するという見方が有力でした。しかし、公示直前にタクシン元首相の妹にあたるインラック・チナワット女史が首相候補として担ぎ出され、情勢は一変しました。昭和の終わりごろの日本国会に吹き荒れた「マドンナ旋風」も真っ青の展開になり、プアタイ党は支持を拡大。タクシン首相現役時代の政権与党「タイラックタイ」(別名:タイ愛国党)以来となる単独過半数獲得を一気に視野に入れました。

(画像1:プアタイ党の宣伝看板。インラック次期首相が前面に押し出されている)

 一方、民主党は

「プアタイ党とUDD(赤シャツ)軍は一心同体。街を破壊する勢力にこの国は任せられない」

と、昨年のラチャプラソン最終決戦を引き合いに出して暴力的体質を非難しましたが、圧倒的地盤の南部以外ではプアタイ党に押される一方でした。民主党が比較的強いバンコク首都圏でも、北部や最東部の10議席がプアタイ党の手に渡り、民主党は33議席中23議席の獲得にとどまりました。

(画像2:バンコク首都圏4区は民主党勝利。地元のアピシット首相、何とか面目保った)

 また、スワンナプームショックのときに民主党を支持していたPAD(黄シャツ)軍はアピシット首相の政権運営に三行半を突きつけ、「VOTE NO」(選挙を中止しろ)と訴えていました。この結果、無効票や白票は全体の7%に達しました。

 タクシン首相時代の5年間は、旅行者、在住者関係なく外国人への風当たりが非常に強くなっていました。正規ビザに関する手数料や、オーバーステイの際の罰金が引き上げられたり。それまで原則60日だった正規ビザでの在留許可期間が発展途上国に対して30日に短縮とか、ビザなしでは連続する6ヶ月間に90日を越えて在留できないという規制ができたのも、タクシン首相がクーデターで政権を追われる直前のことでした。インラック新首相の下では、タクシン元首相の影響力が強まると予想され、外国人にとって「住みにくいタイ」が再び現実のものとなる可能性も出てきました。