2013年12月26日木曜日

ロシアの声伝統の中波日本語放送が消える

国営ロシアトゥデイ通信社(モスクワ)は、旧ソ連時代のモスクワ放送以来70年に渡って続いてきた中波(普通のAMラジオ)での日本語放送(『ロシアの声』)を年内いっぱいで終了すると発表しました。2014年1月1日以降は、電波による放送は短波帯の1波だけとなり、ホームページで配信するオンデマンド放送中心へと移行します。

ロシアの声日本語放送は1944年(昭和19年)に創始され、最盛期の1970年代には中波だけで3つ(630kHz=ハバロフスク、720kHz=ユジノサハリンスク、1251kHz=ウラジオストク)、短波帯では10個以上の周波数を使い、1日6時間の日本語放送が行われていました。折からのBCLブームと重なり、モスクワに届くリスナーからの手紙は1か月あたり数万通に達し、週末のモスクワ発番組後半『聴取者の手紙から』で自分の手紙が読まれることがBCLファンにとってのステータスとなったことすらありました。董事長ふくちゃんも、ブームがほぼ終息した後の1989年(平成元年)に短波帯の受信できるラジオを購入し、初めて手紙を出したのが旧モスクワ放送、それも今回廃止になる中波720kHzの放送を聞いて出したものだったと記憶しています。

その後、ソ連崩壊やインターネットの普及による短波帯国際放送自体の縮小といった時代の波に押され、いつしか630kHzは使われなくなり、中波放送はユジノサハリンスク発信の720kHzのみ、短波帯も周波数1つだけ、放送時間も1日2時間に減少してしまいました。

ロシアの声日本語放送のホームページには、アーカイブ放送というオンデマンド放送のページができ、電波による放送の開始時間を待つ必要はなくなりました。コンテンツも大きく変わり、旧ソ連時代の共産主義プロパガンダ一辺倒の論調は鳴りを潜め、今や世界の最重要ニュースからB級面白ネタまで満載した充実のニュースページへと変貌。ニュース以外では、日ロの文化交流に力を入れた内容になっています。

そして、2014年1月、国営リアノーボスチ通信と統合した新生ロシアトゥデイ通信の発足と同時に、日本語放送はインターネットのオンデマンド放送中心へと移行することになり、立ち上げ以来70年続いた中波の使用は取りやめられることになったのです。