2016年7月20日水曜日

ジミー金村さん死去、54歳…『バスマップ』『プー太郎読本』

1990年代から2000年代のカオサンパッカー全盛期に活躍し、外こもりの先駆者として知られていた『ジミー金村』こと金村雅史(かなむらまさし)さんが、7月6日(水)に急性骨髄性白血病のため亡くなっていたことが明らかになりました。享年54歳。生前のジミーさんと交流されていた方がmixi日記を更新、公表したものです。

1962年(昭和37年)徳島県生まれ。大学卒業後、旅行で訪れたバンコクで沈没生活の魅力に取りつかれたジミーさんは、ソイランブトリ(通称寺裏通り、プラナコン区)にあった『テラスゲストハウス』を定宿に活動を開始します。1年のうち3ヶ月程度、日本で非正規雇用として働き、得た給料でバンコクへ行ってカオサンのゲストハウスを拠点に遊び過ごすという新しい生き方を提案し、外こもりの理想的な形として一部で注目を集めました。

そのうち、カオサンを訪れる日本人向けに路線バスの乗り方を指南するミニコミ本『ジミークンバスマップ』を作り、今は無きMPツアーや竹亭本店など、日本人の集まるお店で販売してもらっていました。2000年代には、弊誌永遠名誉董事長・下川裕治の門下で、『バンコクカオサンプー太郎読本』(双葉社、2001年)『バンコクカオサン食い倒し読本』(双葉社、2003年)と2冊の単行本を上梓。董事長ふくちゃんが2004年にカオサンに落ち着くまでは、ジミーさんの方が外こもりの代表格として、バックパッカーの間では有名な存在でした。

しかし、テラスゲストハウスは2004年夏に閉鎖。ジミーさんはこれを機に、トンブリ北部のタリンチャン区でアパートを借ります。この時の一部始終は、『もっと好きになっちゃったバンコク』(双葉社、2007年)で明らかにされます。

ところが、ジミーさんのライター活動は2010年の『最新版バックパッカーズ読本』が最後となり、同じ頃からお母様の病気を理由にバンコクを訪れる機会も減りはじめました。最近は、日本発最古のSNS『mixi』を拠点に細々と活動を続けていたといいます。日本発のSNSは在外邦人の入会が難しくなり、グローバルに活動する人にとっては事実上Facebookとtwitterの2択と言っても良くなる程の変化の中、ジミーさんはどちらにも参加せず、次第に時代の流れから取り残されていきました(前記事「身内が死んだらSNSにも報告を」参照)

そして、今年3月。ジミーさんは急性骨髄性白血病で緊急入院します。この時も、mixiでマイミク(友達)になっている一部の親しい人にしか知らせませんでした。5月には、

「決定的な治療は骨髄移植しかない。手術が成功すればよいがその前に急変することだってあり得る」

と述べて、迫り来る死も見据えた上で身辺整理を考えていたことが、最期を託されたマイミクさんの日記で明らかにされています。